東日本大震災 その時(3/13) – Part 1

この日は義弟のご両親の安否確認に行きました。
45号線は通れないので、宮古市八木沢の奥から金浜地区の裏まで車で行って、そこから高浜地区まで山越えをする、という作戦。水やらオニギリやらをリュックに詰めて、義理の弟君といざ突撃です。
金浜の裏に着いたのが8時ごろ。あのあたりは高台なので無事な家がちらほらありました。が、歩くにつれて金浜地区の被害の甚大さが目に入りました。本当に信じられない光景。 web

弟くんは「うわー…」と言葉を失っていました。彼にとっては小さい頃から親しんだ地区です。すれ違う人たちも知り合いがチラホラいたみたいです。
被災の現場はテレビ伝わらない部分が多いです。アブラと潮の混ざった濁った匂い。泥まみれのぬいぐるみや生活用品など一つ一つに人の影が見て取れます。きついです。
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集落の左端から山に入り、まずはちょっと山越え。それから高浜小学校付近に出ました。福祉センターが避難所になっており、弟君は何人かの同級生と無事である喜びを分かち合っていました。

小学校の裏からいよいよ山越え。途中で道を見失い竹やぶに捕まったりしましたが、なんとか高浜地区に到着。目印であるお墓にたどり着いた時は二人で歓声を上げましたよ。大変だった!弟君は自分の家のお墓に手を合わせました。しかし、こういう時に体力って必要ですね。自分の体力の無さで弟くんの足を何度も止めてしまいました。無念。

さて、高浜地区は残っている家屋があるものの、やはり大変な被害です。
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まずは高台にある彼のおじいさんの家に行きました。そこにいると思ったのですが、ご両親は下の方にある家の掃除をしているとのこと。さっそく行ってみると、泥を掻き出す作業をしていました。弟くんはほっとして思わず涙。まずは本当に良かった。

彼の家は無事残っていて、それでも中は泥まみれ。この泥がくせもので、油やら海水やら汚水やら混ざっていてかなり大変なんです。一階部分は家電なども使えない状態なのですが、二階部分は使えるとのこと。たくましい!。
畳をあげたりとお手伝いして、おじいさんの家でごはんを食べて帰りました。帰りに判明したのは、徒歩でなら45号線が通れたこと(笑)山越えする必要無かった…。
堤防を歩きながら海岸の被害を見ていきました。やはりひどい。
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金浜まで行き、ちょっと山を歩き、車に着きました。
一度妻の実家まで戻り、さらに腹ごしらえ。この時点で午後2時ぐらいだったので、午後は私の祖父母の家がある田老に行くことになりました。
長くなるので、Part2に続きます。

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