土曜日の朝。地震が無かったら卒業式の予定でした。熟睡できるわけもありません。
内臓が変な感じがしていました。
車に行きテレビを見ると、津波の映像がわんさか出ていました。これからの勤務もどうなるか分からないのですが、いずれ早く安否の確認に行きたいところ。
卒業式の日なので、普通に出勤日です。出勤し、前日の打ち合わせ通り卒業式延期のお知らせを各家庭にしなければなりませんが、電話が不通。家庭訪問しかありません。卒業式は委員会との確認で15日に内定。
この時既にガソリンの問題が発生する先生もいました。ちょうど給油しようと思っていた人はあまり車を動かせません。私は満タンに近かったので車を出しました。
先輩の先生を乗せて山深い生徒のところへ。学区が広くて大変です。
途中IBCラジオでは被害のすさまじさが伝えられます。「屋上で取り残されている」等の情報も。
家庭訪問がすべて完了したのは14時ごろ。携帯のメールがかろうじて繋がる状態だったので、妻とやりとりし、宮古の身内の実家に待避することになりました。あちらでは水が出ないということで、小川の商店で「龍仙洞の水」をハコ買いして、15時ごろに岩泉のアパートに帰宅。
ビニール袋にも水を詰めて、その他着替えやら何やら詰め込んで宮古へ発ちました。
小本は津波にやられていると思い、岩泉から押角峠を越えて和井内を抜け、茂市に出ました。
今思うとこの道があったから私たちは岩泉脱出ができたのでした。
身内の実家は旧新里村と旧宮古市の境のあたり。内陸のため津波の被害はありません。
夕方に到着。
まずは多くの人がいるところに来て、ちょっとホッとしました。食料もたんまりあるし。
義理の弟は沿岸部の高浜地区出身で、ご両親と連絡が取れなくなり、心配していました。「高台の高浜小学校まで津波が来た」という情報が入りいてもたってもいられなくなり、「今から探しに行く!」と
出発準備を始めていましたが、「一人では行くな」とみんなで制止。暗くなりますし、どんな状況か分かりません。明日朝に私と捜索に行くことにしました。
そんな中、義理の母が近所の人から「高浜と金浜の人は、河南中学校と花輪の伝承館にいる」という情報をゲット!
そこなら内陸ですから、安心。ということで私と弟とで、車を飛ばし早速そこに向かいました。
まずは河南中学校に。電気もついていない。水も出ない環境劣悪な状態。人はぎゅうぎゅう詰め。探しましたがいない。
小山田の親戚の家にいるのでは?と思い寄ってみたが、そこでも情報なし。
最後の頼みで、花輪の伝承館に。するとそこに金浜の親戚(彼のお母さんの妹家族)がいた!
話を聞くと、ご両親は津波の後に高浜のとなりの金浜まで歩いて来ていたことが判明。生きていました!まずは一安心!!!
伝承館では飲み物などが足りないとのことで、妻の実家に一度戻り、彼と義理の妹がペットボトルやお菓子などを配給。ひとしきり無事を喜びました。
13日は河南の奥まで車で行き、金浜から徒歩で山を越えて、高浜のご両親を確認しに行くことになりました。国道はやられたらしいとのこと。
ロウソクでの夜でしたが、人が多いだけで安心。リビングに布団を敷き、またも余震に揺られながらみんなで寝ました。
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