偲びかたは人それぞれ

先日チック・コリアが亡くなり、故人への思いの表し方は多種多様に亘るののだな、と考えさせられました。個人のポリシーや意見を発する場が保証されているのはインターネット様々といったところ。みなさんのそれぞれ思いの発し方から、さらに彼の遺した音楽の偉大さを知ることとなるわけです。安らかに眠ってほしいです(死んだことは認めていない)。

そんなときの訃報でした。

ふわふわ、さらさらのクラシック(どーん!としたオケやショパンは嫌いだった)やドラクエのBGMしか聴いていなかった子供のころ。トロンボーン吹きの伯父から「吹奏楽始めたんだって?これやるから聴いてみろ」と渡されたのが金色の「New Sounds Special」で、その中に「オーメンズ・オブ・ラブ」もあり「宝島」もあって世界がぐっと広がったんですよ。吹奏楽部の顧問の先生に(この先生もまだ現役で今度コンクールで戦うと思うと巡り合わせがすごい)「スクエアって知ってますか?」「何!?スクエア!?」(大ファンだった)とCDを借りた(聴くことを課せられた)のが始まりでした。

こうして、自分の中に初めて入ってきた”ピアニスト”は、和泉宏隆となったのでした。

私ってそれまでエレキギターも、ドラムも苦手で、それこそクラシック(しかもドビュッシーみたいなやつ)しか受け入れられなかったんですよ。今思うとその状態から良く今の音楽性にたどりついてますな。そこの入り口に立っていたのが彼でした。

Yahoo!ニュースに載るぐらいの訃報で、またまた皆さんそれぞれの追悼がどんどん出てきました。

私はというと、ソロピアノ作品を聴いて偲んでみようとしても空虚な思いになってしまい上手くいかず、「じゃあ」と思ってスクエア現役のころのアルバム(HUMANとか)を聴いても「ううむ…よいな…」となってしまってただの音楽鑑賞になってしまう有様。こりゃ自分のルーツすぎてだめなんだ。

結局シャッフルでさまざま聴いていたんですが、そこでハッとさせられたのが、「Sweet & Gentle」です。

彼が脱退し、新進気鋭の松本圭司が加入。バンドとしてピアニストを中心に急激に変化していったスクエア。「和泉さんならどうしたかな」と考えているうちに、ようやく、「和泉さんいなくなっちゃったんだ」と悲しくなることができました。絶対に彼なら弾かないフレーズ、彼ならやらないバッキング。そこにスクエアの中での彼の立ち位置や、彼個人の音楽との向き合い方が炙り出されて、じわじわと死を感じたのです。いいアルバムですよ。今回たくさん聴きました。

ベースの須藤さんと盛岡のSに来たとき、有給取って早く帰って、目の前でピアノを聴いて、ライブのあとおずおずと「あのぅ…写真撮らせてください」と申し出て、蚊の鳴くような声で「僕もピアノやってるんです」って言ったら、「おう、頑張ってください」って握手をしたら厚い手で、「ここからあの音が出てきたんだ」って感じたのを覚えています。やっとファンらしくなってきたぞ。

こういうピアノを弾きたいな、というモデルはしっかり示してくれました。あとは私がどう弾くかです。精進あるのみ。彼の生き方から学ぶことはまだまだあります。

なぜか淡白に綴って来ましたが(いつもこうなる)、私自身は彼のピアノを十分愛しました。

あとは遺されたものをきちんとそばに置くこと。

生きる、死ぬ、ではなく、「生かす」のは聴衆だ。

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